大伴坂上朗女

 来(こ)むと言うも 来ぬ時あるを
 来じと言ふを 来むとは待たじ
 来じと言ふものを、
 
 万葉集の中の大伴坂上朗女の啖呵ということだが、、短歌ではなく啖呵。

逢いに行くよといっても来ないことがあるのに、逢いに行かないっていってるんだから、もしや来るかもしれないなんて思って待ってあげたりするもんですか。だって来ないっていうんだから。

という訳がついていたが、実際どれが来るでどれが来ないのか古典はややこしい。
がしかし、実際にユーリズミーで動いてみると、、成るほどこれは来る。これは来ないな、、、というのが解る。
多分半分は思い込みだが半分は子音がちゃんと事実を表現してくれている。

関西言葉でいうともっと解りやすい。

来はるいうてて きやへんことあるし、
きやへん いわはるんやから、来はるんちゃうか思たり、待ったげたり せえへん。
ほんまにきやへんて 言わはったんやから、

解りやすくないか、、、。
しかし、この怒っているのか怒っていないのか、すねているのかねだっているのか
主旨が良く解らない関西言葉のルーツは万葉集ではないか!と勝手に推測する。

今日一日この啖呵を一人口ずさみ動いたりしている私は一体何なんだろう。
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by soulcalendar | 2010-11-08 04:11 | Word and World  

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